愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶといいます、では経験と歴史の違いはなんでしょうか?
WiKiPediaを見ると歴史は次のように定義されています。
「何かしらの事物が時間的に変遷したありさま[1]、あるいはそれに関する文書や記録のことを言う。」
経験も「何かしらの事物が時間的に変遷したありさま」ですから歴史の定義に当てはまりますし日記も「それに関する文書や記録」ですから歴史と言ってもよさそうです。
歴史を一般的なものごとの変遷だと経験は自分自身の歴史に関する記憶と考えれば良さそうです、では歴史から学ぶのは良くて経験から学ぶのは愚かである、しかし成人は経験からも悟ることが出来るのいうことわざの真意はどこにあるのでしょう。
要するにものごとを客観的に見ることが出来るか主観的に見るかが、ものごとから正しく学ぶことが出来るかどうかの違いになります。
ものごとがうまく行った経験は見通しの甘さにつながりがちですし、悔しさや憎しみを伴う経験はすべて相手のせいにして自己正当化してしまうことがよくあります。
誰しも歴史ならば客観的にみることが出来るが経験を冷静に捉えるのは難しく、経験をも他人事のように冷静に眺めることが出来れば聖人の境地ということでしょう。
国全体が恨に飲み込まれてなんでもかんでも日本のせいにするようなお隣の国とは出来るだけ関わらないにこしたことはありません。
恨の国韓国についてはこちらの書籍が参考になります。