感謝より謝罪が嬉しい朝鮮民族

散歩中に「感謝して貰っても嬉しくない、謝罪ならわかる。」のツィートに香山リカが共感した件を思い出して、ふと感謝とはいったい何だろうと考え込んでしまいました。

日本人(たぶん朝鮮民族以外の全人類)にとって人から謝罪されるより感謝される方が嬉しくて幸せな気持ちになるのは当たり前でその気持ちについて考えてみたことが無かったのですが、「感謝されて嬉しい」のは何故だろうと考え始めると当たり前すぎて言葉にするのが難しいことに気が付いたのです。

感謝されることは自分の価値を認めてもらうこと

人に感謝されて嬉しいのは感謝されることで自分の価値を認めて貰ったと感じるからではないでしょうか。

ですから、日本人ならイチローのような偉業を成し遂げた人に感謝して貰えるならば人一倍嬉しくて幸せな気持ちになります。

感謝することも幸せにつながる

仏教に限らず宗教の教えでは感謝の気持ちを持つことを勧めます。家族や先祖に限らずあらゆるものに感謝できる心が精神的な安定につながり幸せな暮らしの原動力となるからです。

日本人にとって感謝されることもすることもプラスにつながる行為であることが無意識レベルの常識と言って良いでしょう。

日本人にとって謝罪とは和解するための手段に過ぎない

一方、日本人にとって謝罪は和解するための手段に過ぎないため必要以上に謝罪する人には違和感を感じるでしょうし、必要以上に謝罪を求めることは後ろめたさにつながるのではないかと思います。

つまり日本人にとって謝罪とはマイナスを打ち消すための手段に過ぎず、謝罪を受ける事だけが幸せな気持ちにつながる訳ではありません。

感謝より謝罪が嬉しい民族とは関わりたくない

日本人でも多種多様な感性を持つ人がいて、どうしても合わない人はいくらでもいますが「感謝より謝罪が嬉しい」というのは趣味の違いを超える根本的なものです。

朝鮮民族との和解を望んで感謝したつもりが相手からしたら、マウントを取って嬉しくてさらにあらゆることで謝罪を要求しはじめる訳です。

子分同士の対等な関係もない親分子分の上下関係だけのやくざの世界を想像してみると近いのでしょうか。そのような感性の人たちとは関わりたくないものです。

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